というわけでジークアクスの感想
先に言ってしまうが「ああ楽しかった」という空気だけで終わりたい人はここで引き返したほうがいいかもしれない
とはいえ悪かった話だけするつもりはないので良かった感想を中心に切り出すとする
ちなみにBeginningの感想はこちら
一言で言うと「楽しい作品だったね」というあたりが個人的帰結である
上記の通り「楽しかった」という空気で終わりたい人、というのはまさにこの感想の最たるもので、このアニメは全体的に「楽しい」作品にしたいのだなぁと思った
ここでの問題は「楽しい」であって「面白い」ではないという部分にある
それは個々の古来からあるガンダムネタにせよ、キャラクターの造形やシーンの移り変わりにせよ、とにかく楽しい、アトラクション的なものになっている
ディズニーのアトラクションをアニメ化するとこんな感じになるんだろう。これは他の人の感想で言っていたが「ガンダム・ザ・ライド(昔に富士急ハイランドに期間限定であったガンダムのアトラクション)」というのがまさにこれなんだろうと思う。ちなみにガンダム・ザ・ライドの映像資料は残ってないらしいので頑張って調べても何も出てこないと思う(俺も名前とサラミス級を改装したフジ級って輸送艦が出ることぐらいしか知らない
逆説的に、楽しめなかった人は全く楽しめなかったと思う。というかまあそういう反応も多々見られる
これは当然で、楽しさがガンダムという元ネタに引っ張られており、そのフックが引っかからなければ楽しくはない
そして問題に戻るのだが、そうしたフックが引っかからない、楽しくない人たちにとってははっきり言って面白くないのである
勘違いしてはいけないのだが、ガンダムというフックは別にガンダムを知らなくても引っかかることがある
だから実際新規もそこそこいるし、メロいダンディな緑のおじさんをフックに入ってくる新規もいただろう(後述するがキャラデザはマジでいい仕事をしていた)。入口がそれでもフックが引っかかれば楽しいし、楽しければ盛り上がれる
Beginningの感想で「オタクが語りたがる作品は佳作」というジンクスを書いているが、そのジンクスはこの構造なのだろうなと理解できた。つまるところ楽しいが面白くない作品が語られがち盛り上がりがちで、それはやっぱり佳作の域を出ない
とまあちょっとネガティブな感想を述べたので良かったところも別に述べる
上記の通りキャラデザはとても良かった。シイコにせよドゥーにせよほぼ使い捨てのキャラでもあそこまで盛り上がったのはキャラデザの効果が大きかったと思う。というか使い捨てにするにはもったいなさすぎる。強化人間を舞台装置にしか(にすら)しないのはまーじでもったいねえと思うんだが
メカデザも従来のガンダム作品から別のラインを導き出そうとしていて好感が持てるし、シンプルにかっこいい、見ていて映えるデザインだった。一軸関節はガンプラがやりたがらない(可動域が狭くなるので)ものなのに意地でもそれを通そうとするデザインだなぁと思った。これは一軸関節が好きなのでとても好意的に映った
音楽だって最高で、Plazmaはかなり良かったし、それ以外の劇伴も良かったと思う。コロニーの少女とかマチュの独特なコロニーから浮いた感覚が綺麗に曲にはまってたと思う
声優についても述べておくと、旧来のキャラクターに別の人物を充てるのだってかなりうまく行ってたし、マチュ、シュウジ、ニャアンの3人は特にその人物像に演技がきちんとされていた印象はある
まあ声優と音楽は専門外なので大雑把な感想になってしまったが、各パーツは本当に良かったと思っている
だからこそだ
シナリオというか、ストーリーというか、ドラマというか、まあそのへんの歯抜けが気になる
ニュータイプを描くのはわかっていたが、ニュータイプという力がどういうものかではなくどう使うのかが肝心というのはまあ、他の宇宙世紀外伝シリーズよりはいいかもしれないが、新しい結論とはいい難い(ずっと富野が描いてたから
むしろ力や関係以外の人物像が、特にシュウジとニャアン、マチュの絡みが少なく、僅かなシーンや描写で「感じ取れ」というスタイルを取っているのも気になる
群像劇としてやるつもりなのかもしれないがそれにしてもシーンが少なすぎる。スマホゲーのCMかよって感じで、ゲームやったらそこら辺わかります的な雰囲気である
最後まで見ればシュウジが相当マチュから影響を受けていることがわかるが、影響を受けるそのもののシーンはない
ドラマは変化を描くというのが基本的な手法だが、変化した結果を描いてばかりで結論しか描かれない。わかりやすいポイントだとシュウジが風邪を引いていたから大変、という描写はあってもその後の看病は描かれない。そこでどんな会話をしたのかどんなものを用意したのかわからない
「このキャラとこのキャラが絡んでたらエモいよね」という同人の文脈と言わざるを得ない。「マチュがよくわからない」といった反応もこのあたりがあると思っていて、目的はわかるが理由が感じ取りにくいのが要因ではなかろうか
シナリオの本質も甘いと言うか、もっと尖らせてよかったように思う
Beginningの感想でも触れているが、IFの宇宙世紀というのはすでにサンダーボルトあたりで描かれているし、ガンダムネタの大集合的な感じではジョニーの帰還などがある
11話で「これFGOみたいだ……」みたいな反応があったが、パラレルなもしもの世界がどうあるべきかに対しての材料としてFGOの二部っぽいところがあったのは事実だと思うし、各種要素の細部が数年前のスマホゲーのシナリオと同程度の磨き込みなのはどうなのさという気持ちである(まあFGOもとい奈須きのこのシナリオの磨き込みはトップクラスではあるのでそこに並ぶのを否よりに取るには厳しい感触もあるが
ただFGOのシナリオより人の交流や存在意義の表現は薄いように思うので、そこで劣っているのは明確な否ではある
また、そもそも論になるのだが、機動戦士ガンダムというアニメ(このパラグラフでは以下初代)をリスペクトしているのかしてないのかわからないという感覚にもなる
マグネットコーティングの描写はジークアクスでは変態機動を可能にしていたが初代では「油を指すようなもの」と言って微細の変化としか言っておらず、こんな感じで要所要所で「それはうちでは違うので」と都合の良い取捨選択が行われている
初代にあった戦争に巻き込まれる市民・子どもの描写も抜けていて、サイコガンダムが大暴れした街の被害が完全にスルーされている(マチュがそれを見てなにか思うような描写がない)のも中途半端に感じられる(まあこのあたりは企画が始まったときはロシア・ウクライナ戦争もイスラエルのガザ侵攻もなかったので現代が追いついて追い越してしまったという悲劇的な部分はあるが
軍警の暴力が描かれる一方でテロや娼館の暴力があっさりしていたりというのは少々ちぐはぐ感が否めない(『描かない』という判断がされているのが明確なので
取捨選択に都合の良さ、虫の良さが感じ取られてどうにも一貫性がなく思ってしまった
ときに、あるネットマンガで「ネットミームカルタとコミュニケーションの違いがわからない」という表現があった
ジークアクスはこれで言えば「ガンダムミームカルタ」のアニメで、はっきり言って良いものとは言えないと思った
勘違いしてはいけないが同人や二次創作が劣るとかそういう話ではない。というか同人や二次創作が入口になってオリジナルに触れるというのは今や珍しいことではない。それ自体を狙いに入れてマーケティングを行うゲームだってそれなりにある(Pixivのファンアートコンテストとか
ミームカルタはやってる側は楽しいし、楽しさは人を呼ぶには十分なきっかけではある。が、やはり雑音感が強い
この記事の冒頭の「フジ級」のくだりと同じようなものである。わからなければさっぱり面白くもなんともなかっただろう
ただ強く思うのだが、スタジオカラーはこれでいいのだろうか? 特に鶴巻や庵野は本当にこれでいいのか?
ふたりとも60歳を越えよう、越えたという歳で、やることがミームカルタでいいのか? 富野由悠季は60でキングゲイナー作ってたんだぞ?
特に庵野は、求められているのは「シン・ゴジラ」のような、今までなかった方向性を混ぜて作品を傑作に昇華させることで、オタクとミームカルタをやって楽しむような作品を作ることはふさわしくないのではないか?
というかシン・ウルトラマンもシン・仮面ライダーもオタクとミームカルタしようとしたんじゃないか?(見てないんで知らない) シン・ゴジラに対して興行収入で大きく遅れを取ったのはそういうことじゃないのか?
シン・エヴァで「いろいろ抱えてるものもあるけど、みんなそれなりに折り合いつけて大人になってんだよ」みたいな終わり方したくせに肝心要のあなたが折り合いつけられてないじゃないですか
「次の世代のクリエイターでござい」みたいな地位と名誉を得てやることがオタクミームカルタとか恥ずかしくないのか?
一人で勝手にやるならともかくまわり巻き込んでやっていいことじゃないだろその立場では。スタジオカラーのスタッフになんて説明してるんだ? 俺達はミームカルタを作ってオタクとじゃれ合ってますって胸張って言えるのか?
ジークアクスは俺にとっては怒りが湧いた作品だった。特に上記の怒りがだ
楽しめたほうが偉いみたいな連中の水を指すつもりはないが、少なくとも庵野秀明とスタジオカラーも「作ってる人たちが楽しんでるならいいじゃん」なんて甘やかされる立場じゃないはずだ。だってシン・ゴジラの褒め方はそういう褒め方じゃなかっただろ。それができるし見てる側だって本来そっちを求めてるんじゃないのか?
少なくともアニメで怒りが湧いたのは初めてだった(つまらない場合怒りより先に見なくなるので)ので、そういう意味では優れた作品だったのかもしれない
まあそれでも、なにか酌量するとしたら
新劇場版Qは作ってる側にとって相当トラウマだったのかもしれないなぁ、という気持ちはあるにはある
でも「ガンダム」というIPはそのトラウマすら上回れるような土台だと思うんだよ
最後にもう少し。これは完全な蛇足
俺もまあ、漫画や小説を矮小ながら作っているクリエイターもどきとしての立場(というかプライド)がある
「そこまで怒るのならなんか作ってみせろよ」という被害妄想が自分にのしかかってるのも事実である
どっかで絶対に痛いものを返してやろうと思っている。これは決意表明のようなものだ。だから蛇足だ
