超かぐや姫!の感想は先日書いた
いろいろな点で参考になったのだが、それはそうとしてかなり百合ポイントが刺さったらしく今日も元気にrayのMVを見ていたりEX-Otogibanashiを聞いたりしている
自分でも驚いたぐらい刺さったっぽく二次創作を掘ってたら、なんかまだ上映してくれるっぽいので今度は立川シネマシティに行くかーとか思っている。話は特別なものではないが音楽とキャラが強いのがこうなった要員だろうかとか思ったり思わなかったり。rayのMV、マジで聞き入っちゃって&見入っちゃってコマ送りで細かいところ見るのまだ出来てない。毎日見てるのに
それはそうとして
話の構造を追いかけて分析しているととある作品が思い浮かんだ。それが水星の魔女だ
水星の魔女はガンダムシリーズの一作で、正式タイトルは「機動戦士ガンダム 水星の魔女」であり、放映は2022年10月(もう4年前……)開始の分割2クールアニメだった
こちらも主人公、ヒロインともに少女を置き、テレビシリーズでは初の女性主人公の作品として公開された
超かぐや姫!の感想で書いた通り、主人公・ヒロイン(厳密にはそれぞれの役)をどちらも女性にすることで、その立ち位置が入れ替わったことが綺麗に表現できると言った。これは水星の魔女でも目指していたようで、序盤に環境に囚われているミオリネをスレッタが救った……しかし実のところスレッタも環境に縛られていた。という構図はそっくりである。そっくりというか、やはり主人公もヒロインも女性にすることで可能な最大ポイントがその構図(双方の立場を入れ替える形での進行)なのだと思われる
ただ、水星の魔女では後半のシナリオ変更の煽りを受けたのか、あるいは煮詰めきれなかったのか、軸がぶれていた感じはあった。実際のところ水星の魔女は要素が多く、かつ分割2クールの週アニメで、話が多い=要素を多くできるという点はときにデメリットになることもある。例えば超かぐや姫!ではおそらくオミットされたのであろう三角関係や男性性のあり方のようなポイントが水星の魔女には入っていて、これが逆に視聴者を引き付けてしまったゆえに軸が見えづらくなったのではなかろうか
簡単にまとめると以下の感じである
要素 | 水星の魔女 | 超かぐや姫! |
|---|---|---|
主人公 | 親に囚われている | 親(環境)に囚われている |
ヒロイン | 親(環境)に囚われている | 自由なようで環境に囚われている |
恋愛 | 三角関係や一方的な思いを描く | 主人公とヒロインの関係に集中する |
男性性 | 力や権力と言った形での表現 | あまり描かれていない |
性差の扱い | モビルスーツによって埋める | バーチャル世界によって埋める(ただし性差自体があまり描かれていない) |
肝心の女性性についてはこれから述べるとするが、その前に主人公の周りの存在についても書いておきたい。女性性の扱いは特別にテーマに近いので外に出したが、友人関係を外に出したのは少し長くなるので表に収めるより外に出そうと思っただけで特別な意図はない
友人関係として周囲の環境を見ると、どちらも恵まれている環境を全面に押し出そうとしている。少なくとも足を引っ張る味方というのは基本存在しない。水星の魔女においてはわずかに地球寮関係で紆余曲折はあったが、主人公たちに大きな影響を与えるものではなかったし、最終的にはむしろプラスの側面が強いだろう。超かぐや姫!側も友人や兄の関係は少なくとも主人公に対して協力的である。このあたりは現代的と捉えることもできるが、どちらかというと本質的な敵がそこではないからだろう。良好な隣人としての周囲の人間は主人公・ヒロインが殻を破るためのブースターとして機能している
そして確信たる女性性の話に入る。
水星の魔女においての女性性の書き方は、たとえば、母親のプロスペラのある種歪んだ愛情であったり、ミオリネの菜園であったり、あるいは環境に流されていく弱さを持ったニカやベルメリアなど、母性や受け身的な表現が女性性を主体としていた。弱さとまではいかないが、旧来の女性性の描き方からの脱却は難しかったようにも思う。とはいえ意識はされていたようで、男性性的なストロングさをある程度持ち合わせているチュチュやフェンなどもいたし、企業経営者の女性も多かった。同時に女性性的な弱さを持っている男キャラも少なくなかった。悲劇の強化人間枠もエランシリーズだったわけで、そのあたりを自覚的になんとかしようとしたのは見て取れる
一方で超かぐや姫!の女性性はどこにあったか。1つはアイドル性だろう。かぐやもヤチヨもストリーマー[1] として活動しているのは現代風のインターネットアイドルだし、かぐやにめちゃくちゃ求婚が来る流れもかぐや姫的な要素で目立たないが、現代の抱えた異常な女性の客体化表現であることは間違いない。そしてもう1つは彩葉の『推し活』である。一般的に推し活は女性の方が熱心であるとされる [2] 。一般的な女性性の書き方から外そうとしているのか、題材としてバーチャル空間を重視したため結果的に外れたのかわからないが、新しい女性性の書き方を模索しているようでもある
もちろん従来の女性性的なものもある。赤ん坊だったかぐやの面倒を見る彩葉は一種の母性的なあり方が描かれているし、料理をするかぐやもやはり一種の家庭的な女性像が描かれている。女性が男性性的な強さを持つシーンもあり、例えば彩葉の母親の言葉はそういった強さの側面が強いほか、最終的に彩葉が科学者になっているのも一種の男性性であろう。ただ、キャラ付けとしての女性性・男性性を脱構築しようとした痕跡を感じるように思う
これは双方でどちらがいいか悪いかではなく、結果的にそういう手法を選んだという話でしかないが、作品公開の順序と時間を考えると多少は影響があったものだと読み取るのが妥当に思う。また水星の魔女ではスレッタとミオリネ以外の同性愛的な描写がなかったが、超かぐや姫!では女装的なプレイングを行っているキャラクターや、主人公たち以外でも同性愛的な関係を持っている人物がいる(一部設定のみだが)。こうしたところも題材の1つとして描くときのウィークポイントを潰していった結果のようにも思う
水星の魔女は2クールのテレビ放送アニメであったことと、ガンダムの枠組みの都合があってかやろうとしたことのすべてがうまく出来たとはいい難い。ただやろうとしたことが読み取れてくると「好きなガンダムランキング」が上がってしまうバグが(主に俺の中に)ある [3] ので、今回超かぐや姫!を通して話の構造を考えるとなかなか意欲的だったのかもしれない。しかし超かぐや姫!の感想で、バーチャル周りの描写でもう10年早くと言ったが、主人公・ヒロインの関係で言ってももう少し早く出来ていてもよかったのではないかという気持ちもある。特に女性主人公・女性ヒロインの描き方は少女革命ウテナに始まり様々な試みがもっとされていても良かったであろう枠であろう。ここ数年で大きく変わりつつある分野であると思えば、妥当は妥当なのかもしれない
最も、こうした解釈・考察を進めるには俺はあまりアニメを見てなさすぎる。例えば先述したが女性主人公作品で先駆的なものである少女革命ウテナや、バディ物として高い評価を得ているリコリス・リコイルも見てない。日常ものも全然見れていない。何ならアニメ以外もほとんど見れていない。はっきり言って今回の話はちゃんと勉強している人からすれば噴飯ものだっただろう
お目汚しを失礼したと謝罪を最後にさせていただく
