2025-10-13 22:56 少し追記
著者は銃好きで有名な時雨沢恵一(敬称略)
氏の新作は銃にひたすらフォーカスを当てつつ、銃の本質をしっかりと描く銃好きならではの作品であった
オンラインでもWeb連載版が読める(期間限定らしいがこれを書いている現在はまだその期間の表示はない)ので興味があればこちらから読んでみてほしい
感想をサラッと書かせてもらうが、当然ネタバレを含む
というかテーマに触れると自ずとネタバレに踏み込んでしまう作品なのでそこは勘弁願いたい
この話を最初に読んでいたとき、おおよそ第一部の第七章か第八章ぐらいまで公開されていた
このあたりまでは銃好きの作者が生み出したなかなか合理的なトリックだなぁと感心していた
第一部第九話あたりで話が動き出し第二部に入るわけだが、このあたりのタイミングでなんとなくテーマが見えた
この作品のテーマは「暴力」であるというのがよくわかった
なぜなら銃というのは圧倒的な暴力だからである
暴力というのは最も原始的な権力であり、銃を持つことによりその権力を持つとどうなるか、言ってしまえば「日本で過ぎた権力を個人が持ったら」という視点が刻々と描かれている
権力を持ったものがそれを持ってして蹂躙を行うのはわかりやすい悪事であり、かつ原始的で現代でも生き続ける悪事である
また作中での自衛隊や警察という「公権力による暴力」もきちんと描かれていた
後半でその「公権力による暴力」が、あるいは「公権力による権力の横暴」が蹂躙した存在もやはり描かれている
現代ではだいぶマシにはなったものの、公権力の正当性のための横暴というのはまだ存在し、それが歪みとして世界に漏出するのは忘れてはならないことという警句と受け取ることにした
ところで暴力という権力は他の権力と異なる1つの絶対的な構造が発生する
それはさらなる大きな暴力に蹂躙されるとき、対抗手段がないということである
これも作中ではわかりやすく描かれており、何かしらの暴力的な権力で蹂躙していた悪人が狙撃され、その狙撃犯はさらに優れた射手に撃ち殺されたという構造で描かれている
この話はミスマルカのときも少ししたが、こちらはテーマが暴力そのものなのでさらにそれが話の軸として扱われているわけである
暴力をテーマとしつつ、前半に貼られた伏線である「一目見てわかった」という表現とその正体は非常に驚いた
驚いたというより、そもそも銃というものに真剣に向き合った結果なのだろうとも思った
先述の通り銃というのは個人の持つことのできる圧倒的な暴力である。それがあるということと、さらにいえばそれによって何ができるかという点が非常に洗練されて描かれた結果だ
少し余談かもしれないが、呪術廻戦において「一度人を殺したら『殺す』って選択肢が俺の生活に入り込むと思うんだ」という台詞をおそらく作者なりに解釈した結果なのではないかとも思った(呪術廻戦は読んでないので文脈等がある台詞だったら引用が間違っていることになる。そのときは申し訳ない)。この言葉と銃の相性は非常に良かったのだろう。あるいは日常的に銃を触り、狩猟経験もあるゆえに思うところでもあったのかもしれない
ただ暴力という権力が最終的に最も強い暴力で抑え込む、という点で終わってしまったのは若干悲しいところではある
もっとも、個人で持つ権力の形としての暴力だとそこ以外に落とせる場所がないというのも事実ではある
テーマの都合どうしようもないが、暴力自体の否定という側面はなかなか難しい。毒をもって毒を制すという終わり方にするしかなかったのは理解はできる
追記(2025-10-13 22:55)
ちょっと考えたのだが、おそらくここがタイトルの「フロストクラック」に回収される部分だったのだろう
必要なことが過ぎてしまい身を滅ぼす、という流れに暴力が当てはまるというのが作者なりの答えなのかもしれない
追記ここまで
最後にこの作品がSSという形式で描かれている点にも触れておこうと思う
SSとは会話劇のみで地の文がない形式のものをいう。昔のネットの掲示板を中心に発展した描写方法の一つも言える(ちなみに語源はよくわからないらしい)。ルーツ的には台本とかにあるのだと思われるが、台本ほど描写の詳細が書かれるわけでもない
このSS形式を取ることで、作中においてリアルタイムで銃撃戦を描かないということに成功している。基本は電話越しの会話劇ばかりで、それも基本はすべてことが終わったあとに行うものばかりである
銃撃戦、もとい戦闘はライトノベル等に置いては華と言えるはずだが、この形式と描写方法により意図的にこれを避けているように思う。私の予想だが、作者は意図的にに避けるためにこの形式を利用しているのだとも思う
これは、銃撃戦ではなく殺し合いを描きたかったのだと考えている。要するに派手さやロマンを削ぎ落とし、暴力がただ蹂躙する様子を描きたかったのではないか
なぜなら銃は暴力であり、暴力がリアルに描かれるならそこに華美な装飾は不要だったからだ。いわば銃のロマンチシズムを否定して暴力的な側面を強調したかったわけである
作者は銃が好きであり、自分で猟銃を所有するほどの銃好きで、故に暴力としての銃にかっこよさは不要か、あるいは否定されるべきだとも考えているのだろう
これは素晴らしいエゴイズムだと受け取った
銃が好きであるがゆえに銃の持つ暴力的な側面を強調しながら否定する
なかなか普通の作者にはできない荒業だったと私は称賛する
暴力そのものの否定はできなかったかもしれないが、銃という暴力の否定はきちんとできていたのではなかろうか

